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OYAJIの富良野移住記(4):絶滅寸前のラベンダーを甦らせたファーム富田に出会って私の人生が変わった

 

「北海道ゴーゴーゴー」編集長?のtakehiro1号です。

当ブログをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。

今回は、僕の父であり会長?のOYAJIが執筆する「OYAJIの富良野移住記」の第4話になります。

 

前回の記事はこちら↓からどうぞ。

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OYAJIは2005年~2016年の間、趣味の風景写真に没頭するため、長年住み慣れた札幌を離れ、富良野の北の峰にあるアパートの1室を借りて移住しました。(現在は札幌にいます。)

 

ラベンダーで有名な「ファーム富田」があるから、OYAJIは富良野に移住したと言っても過言ではありません。

毎日でも見に行きたい!だから引っ越すんだ!…ファーム富田にはそんな魅力(魔力?)があります。

 

OYAJIは2年後には米寿になるアラ米?ですが、僕よりも元気モリモリです。そんなOYAJIが書いた富良野移住記ですが、皆さまどうぞよろしくお願いいたします。

なお、OYAJIの家にはネットの環境がないため、ワードで作成した原稿を、takehiro1号が編集してブログにしております。

 

OYAJIの富良野移住記(4):絶滅寸前!富良野のラベンダーを甦らせたファーム富田に出会って私の人生が変わった

 

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私は、ラベンダーで有名な「ファーム富田」の大ファンであり、シーズンになると札幌から毎年見に行っていた。

やがて「ファーム富田」をいつでも見たいという思いが強まり、富良野へ移住することを決断した。

 

今でこそ、富良野のラベンダーは有名になったが、40年前は富良野のラベンダーは絶滅寸前だった。

富良野のラベンダーを絶滅から救ったのは「ファーム富田」である。私の人生に大きな影響を与えてくれた「ファーム富田」の歴史について、少し紹介したい。

 

ファーム富田の歴史

 

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昭和28年、「ファーム富田」の創業者・富田忠雄さんが21歳の夏、爽やかな芳香を漂わせ、紫色に染まった畑に偶然遭遇し、富田さんはその花の魅力にこころを奪われた。

後日、これがラベンダーと分かり、自分の畑で育ててみたいとしばしば見に出かけ、その想いが激しくなるばかりであった。

この出会いから7年たった昭和33年、結婚を機にやっと親から許可が得られ、自分の畑で、恋い焦がれたラベンダーの栽培を始めた。

 

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ラベンダーは化粧品の香料、または、香水の原料になるため、将来の収入源を目指して、富田氏はラベンダー畑を拡大していったが、増収までには時間がかかった。

富良野地方全体でも栽培農家が増え続け、全体でなんと250戸(230ヘクタール以上)にもなった。

ところが、昭和47年頃から、合成香料の急速な技術進歩や、貿易自由化による安価な輸入香料の影響をまともに受けたため、納入先が減り採算がとれなくなった。

状況が激変して、富良野地方の広範囲に拡大していた栽培農家の殆どがラベンダー畑では稼げないので、ばっさりとラベンダー畑をつぶしてしまった。

富田さんも悩みに悩み続け、「苦しくても、もう少し頑張ろう」と、もう1年、もう1年と栽培し続けたが、もう無理だと諦めようとしていた。

 

しかし、昭和50年6月、ファーム富田に奇蹟が起きた。

旧国鉄(今のJR )のカレンダーに、残雪の十勝岳連峰をバックにした富田さんのラベンダー畑が紹介されたのである。

それから、カメラマンや、観光客が続々とやって来るようになった。

また、ポスターや、本などにも紹介されると、年々、シーズになると花を見に来る人が増え続け、ラベンダー畑のまわりが「花人」でいっぱいになった。

 

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富田さんは、ラベンダー畑の近くに大きな掲示板を立てた。

そこには「このラベンダーは、人に見ていただこうと作ってきた花ではないのです。私たち家族の希望の花だったのです。苦しいなかでも、この花の紫と、爽やかな香りは、幸せを感じさせてくれたのです。どうぞ、温かい気持ちで見てやってください。」と、富田さんのラベンダーへの切実な想いが書かれていた。
  
ある日、フランスのラベンダーを観てきた旅行者が、ポプリやサシェの作り方を教えてくれて、富田さんのお母さんが作って玄関に並べたところ、たちまち売れ切れてお金になった。

家族みんなで工夫を凝らしリボンなどをつけたりして、楽しくいっぱい作ると、口コミで広がり、おみやげにとよく売れ続けた。

 

このことがきっかけとなり、また、天然香料が重要視される時代に逆戻りしたおかげで、ファーム富田の香水や化粧水、オーデコロン、高級石鹸などのラベンダーグッズが大人気となった。

ファーム富田のラベンダー畑は、7月上旬から下旬のシーズンになると、連日、全国から観光客が大挙押し寄せ、賑わいを見せ、富田忠雄さんの苦労は結実していった。

 

ラベンダーの原産地は、南フランスのカンヌやニースに近いプロバンス地方であるが、毎年10月上旬、ここで国際的なラベンダー・フェアが3日間華やかに開催されている。

富田忠雄さんはラベンダーの花の精に誘われて、たびたび、このフェアに参加されていたが、1990年この任命式で、日本人初の「オードプロバンス、ラベンダー修道騎士(ナイト)」の称号を授与された。

この表彰は富田さんの苦難を乗り越えた卓越した情熱と、長年のラベンダーの功績が認められたもので、名誉ある誇りでもある。

 

これらのことから、私は、富田さんのラベンダーに対する愛着を強く感じ、その人間性に惚れ込んだ。

また、苦難を乗り越えた忍耐力や、経営者としての判断の的確さに、元経営者だった私は強い感銘を受け、私の人生は大きく変わったように思う。

 

次回は、私も「花人」になって、ファーム富田のラベンダーや花畑など、その概要を写真を添えて記し、皆さんとご一緒に楽しみたいと思う。

 

 

 

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