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OYAJIの富良野移住記(1):十勝岳連峰、美瑛丘陵との奇跡的な出会い

 

北海道☆GO!GO!GO!編集長?のTAKEHIROです。

今回より不定期の更新ですが、僕の父OYAJI(会長?)が執筆する「OYAJIの富良野移住記」がスタートします。

 

OYAJIは2005年~2016年の間、趣味の風景写真に没頭するため、長年住み慣れた札幌を離れ、富良野のアパートを1室借りて移住しました。(現在は札幌にいます。)

富良野への移住は僕も憧れていますし、皆様の中にも富良野移住に憧れる方や、興味がある方がいらっしゃると思います。

そこで、実際に富良野での移住生活を体験したOYAJIに、富良野移住体験記を書いてほしいと頼んだところ、OYAJIは喜んで引き受けてくれました。

…ボケ防止にもなるね!(゚Д゚;)

 

ちなみに、OYAJIの家にはネットの環境がないため、ワードで作成した原稿を、TAKEHIROが編集してブログにしていきます。 

 

OYAJIは2年後には米寿になるアラ米?ですが、僕よりも元気モリモリです。

そんなOYAJIが書いた富良野移住記ですが、皆さまどうぞよろしくお願いいたします。 

 

OYAJIの富良野移住記(1):十勝岳連峰、美瑛丘陵との奇跡的な出会い

 

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今からおよそ20年前、ファッション製品の卸業を札幌で営んでいた私は、上富良野町にある取引先に営業に行ったとき、富良野から近道を通り、間違って左折してしまった。

しばらく道なりに進み、ゆるやかな坂道を登っていくと雑木林が消え、突然、風景がひらけて、右に目を向けると、雄大な十勝岳連峰が遠くに連なり、その手前に、美しい丘陵の起伏や田畑が広がっていた。

 

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私は、その絶景パノラマに言葉を失い、しばし、その眺望に釘づけになった。


営業を終え、その店の経営者の奥様にこの話をすると、「千望峠の方に行っちゃったんでしょう。ところで、前田真三という写真家を知ってる?」と聞かれたので、素直に知りませんと答えた。

奥様は続けて「ヨーロッパのような美瑛の丘陵の美しい風景を世に紹介したすごい人よ。そのため、その後、各地からアマチャカメラマンがやって来て、三脚を立て、列をなして写真を撮っている姿を、あちこちで見かけるようになったわよ。」とのことだった。

私は、「8年程前から趣味で写真を撮っているので、ぜひ、前田真三さんの写真を観たいですね。」というと、「写真ギャラリー拓真館というところが近くにあって、前田真三さんの写真がたくさん展示してあるから観て行きなさいよ。」といって、そこまでの道順をご親切に書いてくれた。


拓真館は、北海道中央部の美瑛、上富良野付近に広がる丘陵地帯の中心部にあった。
車を走らせること15分ほどで「拓真館」に到着した。

拓真館は黄色を基調としたお洒落な建物で、まわりの環境にしっかり溶け込んだただづまいを見せていた。

入口に門柱が2本あり、その手前右側の平地には、バス、一般車の広い駐車場があった。建物の右奥には、ラベンダー畑と、草花の植え込みが見えた。

 

数段の階段を降り前に進み、正面玄関のドアを開けると、館内は奥までぎっしり大判パネル写真が壁面に展示されていた。

また、奥の方は天井が高く、2階建てになっており、そこにも作品が並べられていた。

入口で靴を脱ぎ、館内に入ると、前田真三氏の略歴が書かれていた。要点を抜粋して記すことにしょう。


(略歴)

東京都八王子市出身。14歳で写真を始める。

  • 42歳 17年勤務した「日綿実業」を退社。
  • 45歳 「株式会社 丹渓」を設立し、写真活動に入る。
  • 49歳 日本縦断撮影を約3ヶ月にわたり敢行。
    富良野盆地一帯に日本の新しい風景を発見。
    美瑛丘陵をはじめ、各地で写真取材して写真集を続々刊行。
  • 65歳 美瑛町に写真ギャラリー「拓真館」開設。
  • 71歳 この年、拓真館入館者約30万人達成。
  • 平成8年 勲四等瑞宝章受賞。
  • 平成10年 心不全により急逝。享年76歳。

 

館内には、鮮やかな色彩に満ち溢れた丘陵の田園風景の作品が、目白押しに展示されていたが、どの作品も素晴らしく、時を忘れて観続けた。

その中でも、強烈な印象を受けた作品は、「麦秋鮮烈」という題名だったが、夕立が去った後、赤麦畑に落日の光が差し込んだ鮮烈な一瞬を捉えたもので、代表作の1枚であった。

 

 


時を経て、この写真に刺激を受けた地域の人達が「赤麦畑を守る会」を結成し、活発な活動をしていることを知った。

ところで、これらの風景との奇跡的な出会いが、その後、私の人生の大きな転機になろうとは、その時は知る由もなかった。

 

 

 

続く

 

 




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